2011年10月17日月曜日

母への思い

母が9月28日の早朝、亡くなった。無性にどうにもならない感情が未だに残っている。84才十分な最後と思いながら、その感情が消えない。入院してから2ヶ月が過ぎ、入所前より食が細くなり、点滴で栄養を確保している状態になりつつあった。姉、叔母によるつきっきりの看護、介護もむなしく、家族に見守られながら息を引き取った。私にできたことは、週1回のお見舞い、母の好きな食べ物、食べらそうな食べ物を持参して通うのみ。弱っていく母を見届けるだけ、母の死が近いのを感じながら・・・。

物心ついてから最初に死の悲しさを知ったのは、祖母マスの死でした。30代前半の時で精進落としの席上で、感情が抑えきれず、初めて慟哭を経験した。父茂二の時は、位牌の前で声を抑えて、泣けた。最後の砦の母の生を失ってからは、なかなか感情がクリアーにならない。闘病生活が長かったから、覚悟の上のせいなのか、私の生を脅かす巡り合わせのせいなのか、よりどころを失ったせいなのか、今は、わからない。


人は、生まれ、赤ん坊を体験し、保育園幼稚園に行きだし社会を感じ、だんだんその中で自分を見付けていく。年を重ね、その時々の愉しみ、つらさ、喜びを感じながら、だんだんと長老の世界に入っていく。

上記、10月17日の思いです。もっともっと書くことがあったでしょうにここで終わっている。

今12月29日。今は、違った感情で母を語れるようになってきました。
ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿